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江戸を襲った地震と鯰絵、そして鹿島神宮の鳥居 [地震・火山]




産経が続けざまに地震に関する記事を書いている。

※M8なら新幹線も大惨事に 江戸の錦絵に残る未来への提言(産経)

このブログでも、一部紹介している。
・30m級の大津波と縄文海進

・巨大地震の世紀

今回の記事は、江戸を襲った地震について書かれている。

「安政の東海、南海地震からわずか1年後の1855年11月11日夜、今度は首都・江戸をマグニチュード(M)7級の直下型地震が直撃した・・・」

高橋学立命館大教授によると、「縄文時代、海や湿地はもっと内陸まで広がっていた。そういう場所は今も地盤が弱い。固い地盤は地震で揺れず、軟弱なら激しく揺れる。」ということらしい。

縄文時代の海だった場所の推定については、先日のブログ記事を参考にしてほしい。
・30m級の大津波と縄文海進
かつての武蔵国、現在の東京東部と埼玉東南部には海が入り込んでいて、今の地形とはかなり異なる。
霞ヶ浦のあるあたりから千葉県北部も、深く海や川に浸食されていたようだ。

時の流れとともに土砂が積り、気温の低下とともに海も後退。
しかし、地盤としては柔らかいものなのだろう。

そのうえ、江戸から今日に至るまで、東京湾岸はさらに埋め立てを進めてきた。

やわらかい地盤にビルが乱立しているのだが、おそらく耐震・免震の技術はしっかりしているのだろう。

ただ、高層ビルが立ち並ぶようになった東京は、じつは大型の地震は未だ未経験なのである。
“想定”の範囲であってくれればいいが……。

さて、冒頭の産経の記事によると、「安政の南海地震と江戸地震では発生直後から大量の瓦版や錦絵が発行され、本格的な災害報道が展開された。」という。

安政の大地震のあと、江戸では鯰絵というのが大流行した。
大ナマズが地下で大暴れするので地震が起こる、ということで、その鯰を懲らしめたりする絵だ。

その鯰絵で有名なものに、鹿島大明神のものがある。
鹿島大明神が鯰をこらしめているのだ。

鹿島神宮は、茨城県にある。
その鹿島神宮には要石というのがあって、その要石が地震を起こす大ナマズの頭を押さえつけている、と言われていて、それゆえにこの地域では大地震が起こらない、と伝えられている。

それにあやかっての鯰絵だと思うが、実は先般の東日本大震災にてちょっとした事件が起こった。

この鹿島神宮には大きな鳥居があったのだが、これがあの大地震の影響で、倒壊してしまったのだ。

要石は無事なので問題はないと思うが、鳥居が倒壊してしまうというのは何やら暗示的で、ショックを受けた人も多いのではないか、と思う。

ちなみに、鯰絵にはユーモラスな絵も結構ある。

鯰があやまったり、復興を手伝ったり、はたまた、復興景気で儲かった大工などが鯰に感謝したりというものだ。(ウィキペディア-鯰絵

きっと絵のかける人は、ナマズ絵を描いて……と思いつく人も多いのではないか、と思う。
それでも支援になればいいことだと思う。


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