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バカッター、それは現代のサトラレ。 [今日のシグナル]




今年、大きな話題になったことの1つに、ツイッター騒ぎがあります。飲食店や小売店の店員が不適切なツイートをし、拡散。“バカッター”と呼ばれ、注目されました。
これは日本だけの問題ではないようで、本場(?)アメリカでも、大手ネット企業の広報部長が炎上解雇という騒動があったようです。


「米大手ネット企業の女性広報部長が、ミニブログのツイッターに差別的な発言を書き込んで“炎上”し、すぐさま解雇される事態となり、波紋が広がっている。」

怖いですね。
発言の悪さは、それはそれで問題なのですが、「つぶやき一瞬 台無し一生」という大きな代償を払うことになります。そして、問題となるツイートの中には他人を傷つけるものが少なからずあるのですが、それ自体が世界中に広まり、他人を傷つけつづけてしまうわけです。ツイートした本人が削除した後でもなお。

不必要な発言の背景には、常日頃の自分のソーシャルなやり取りは身内だけだから大丈夫、という気の緩みもあるのでしょう。
先の記事で問題になった広報部長のフォロワーは200人程度ということで、本来であればさほど多くはないはずですが、それでも一瞬で世界中に拡散されてしまうという、「開かれすぎた世界」がネットにはあります。

【引用】
「米紙ニューヨーク・タイムズやフランス通信(AFP)の報道によると、サッコさんのツイッターのフォロワー(読者)は約200人と少なかったが、ネット上の話題を紹介する専門サイトで取り上げられたため、世界中から非難が殺到。機上でネットに接続できなかった当人は約12時間後にケープタウンの空港に到着したところで初めて騒ぎを知り、投稿を削除したが、もう遅かった。」

本来、「つぶやき」というのは、「小さな声」で話すことをいうので、その「小さな声」がやりようによっては世界中に広がるというのは、大変凄いことであると同時に、恐ろしいことでもあります。

何だか、あれに似ていますね。
少し前に映画であった、「サトラレ」。

サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS [DVD]

自分の考えていることが周囲に筒抜けになってしまう1000万人に1人いるという人々の話です。もちろん架空の話です。

自分がごく狭い「プライベートな世界」で囁やいたことが、本人の意図しないうちに、いつの間にか拡声され多くの人たちに知られてしまう。

そして私自身も、今年問題となった「バカッター」の一連の事件は、その行為を目にするとムカっときますしね。あんな店員のいる店、ぜったい使うか、と思ったりしますもんね。

でも、自分や自分の身の回りの人たちも当事者になりうる可能性がある、というのは、肝に銘じておいたほうがいいかもしれません。誰しも、内面に何の問題もないなんてことはないでしょうから・・・。そう考えると、怖いですね・・・。

ところで、サトラレの人々は先天的に、思っていることを口に出さなくても周囲に筒抜けになってしまう人々。でもその代わりに、彼らは例外なくIQ180以上の天才なのだそうです。一方、安易で不適切なツイートは「バカッター」と呼ばれてしまうので、何の良いこともありませんね。

明日は我が身。気を付けないと・・・。


追伸
サトラレというのは、サトリという飛騨にいる(?)妖怪から付けられたそうです。サトリ(覚)は人の心を見透かす妖怪。もしかしたら、ウェブというか、ソーシャルというか、こういったシステム(仕組み)そのものがサトリという妖怪なのかもしれませんね・・・。

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