SSブログ

体罰問題の連鎖 [犯罪・事故・防犯]




大阪の高校で起きた体罰に関する問題ですが、時間の経過とともにどんどん混沌としていきます。
自殺した生徒の父親は、ついに顧問を刑事告訴するようです。
この問題は色々な方向に話が飛び散り、自殺した生徒のご両親の気持ちを考えると不憫でならない。
本当に・・・。

発端は周知のとおり、バスケット部主将の男子生徒が部の顧問からの暴力に悩み自殺したこと。
その後の学校の対応に非難が増え、さらにはこの顧問の学校内での立場の特異さなどに注目が集まりました。
そして、この学校内の複数の部で体罰暴言のあったことが明るみになる。
橋下市長は人事の刷新や体育科の入試中止を決断。

ここまでは、「橋下市長やりすぎでは!?」との声も多かったと思うのですが、その後、同校の運動部キャプテンら(生徒会ではない)が記者会見をひらき、入試の実施を訴えたあたりから風向きが変わります。
・「結論覆す」、決意の反論=高校生8人、入試中止で会見(時事)
『大阪市教育委員会が橋下徹市長の要求通り、市立桜宮高校の体育系2科の入試中止を決定した21日夜、同校3年の男子生徒2人と女子生徒6人が記者会見に臨んだ。「私たちは納得いかない」「学校を守りたい」。8人は「まだ結論を覆せるかも」と、橋下市長と市教委に対し、決意の反論を展開した。
(中略)
橋下市長が体罰の背景に「生徒たちも容認していた」「勝利至上主義」などと発言していたのに対し、女子生徒は「容認していないし、勝つことだけが目標ではなく、礼儀など人として一番大切なことを教えてもらっている」と反論。自殺問題について「心の傷は深く、重く受け止めている。傷を癒せるのは先生」として教諭の総入れ替えにも反対し、「多くの生徒が学校を守りたいと思っている」と強調した。
 男子生徒は「今回の結果が覆せるんじゃないかと、強い思いを持ってきた」と会見の動機を語った。別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説した。』


この生徒たちの記者会見について、教育評論家の尾木氏は自身の公式ブログで次のように言及。

・誰が仕組んだのかしら?
・何か変過ぎ
・なぜ記者会見なの?
・亡くなった生徒のつらさ、苦悩受け止めている姿?
・ご遺族の心情考えているの
・命の重みわかっているの
・やらせるなら生徒会でしょう。なぜ部活の部長? 出てくるべきは学校、顧問、教師でしょう

そのように非難しています。

更に・・・。事態はこれだけでは収まらず、桜宮高校生徒がツイッターで発した暴言が、新たな問題として発展します。

問題となるのは同校女子生徒の次のようなつぶやき。

「おい、おまえええ加減にせぇよ おまえじゃはしもと、部落民がいきんな 本間、殺意芽生えるわ。」

「とりあえず、今思うことわ これだけ。あいつ、今日 何しに学校きたん?教えて、本間。」

「いまなら あいつのこと何にでも出来る 誰しもが思うやろな、殺すぞて、あほちゃん、本間、大の大人が、」

「いまから呑み」

「今のうちにタバコ全部吸いきらな」

暴言や差別発言だけでなく、飲酒、喫煙まで次々と表面化。

先日、運動部キャプテンらが開いた記者会見では
「礼儀など人として一番大切なことを教えてもらっている」
などとも発言していただけに、この発言が揶揄され批判を集めています。

先生を守りたい、自分たちの学校を守りたい、という気持ちは理解できます。
しかしその気持ちの表し方と、順序が間違っていたように思います。
自分たちと同じ学校の生徒が自殺に追い込まれたことについて、真剣に考えているのだろうか・・・そう思わされます。
記者会見の背後に大人がいたのだとしたら、本当に罪なことをしたものです。
教えるべきこと、見せる姿が間違っている。

ツイッターの件については、論外ですね。
でも、“ツイッターという道具”のある時代に生まれ、必要以上に騒動が大きくなってしまった点には同情します。
発言や行為は論外ですが、きっと必要以上のしっぺ返しをくらうでしょう。その点は可哀想だと思います。
次々と渦中に巻き込まれている生徒たち。
この生徒たちのフォローを、この高校の先生はどのように行うのか・・・。


ちなみに体罰について、私の意見を一応表明しておきます。

体罰に反対です。
良い体罰と良くない体罰を誰がどのように決めるのかを考えると、体罰は良くないことだと思う。まず社会として暴力は禁じられているし、知識と力に差のある子供に対してだけ、限定して許されるというのも奇妙な話。
しかし、手が出てしまうことがあるのは理解できるし、愛のムチがあることも事実だと思う。しかし、その時出てしまった“手”については、何かあれば責任を取らなければいけない。その責任を追うからこそ、愛のムチ足り得るのだと思います。大人というのは、いつでも責任が付きまとうものだし、そこが子どもとの違いだと思う。
私自身、手が出てしまったことがある。それなりの思いがあってしたことではあるが、手が出てしまったことは反省しているし、反省すべきだと思う。そして、問題に発展すれば責任を負うのだろうし、問題に発展しなくても、してしまったことについてフォローしなければいけない。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。