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リスクの公式に不安を加える [日常リスクのかわし方]




先日、「リスクの公式」で、リスク予防の優先順位のつけ方について考えました。


ただそこにはもう1つ、考慮しなければいけないことがあります。

それは、“安心と安全”です。

災害や犯罪、事故などを語る上で、よく“安全と安心”の違いが指摘されます。


安全は危険のないこと。

安心は心配や不安がないことで、実際に安全かどうかは必ずしも絶対条件ではありません。


安心は、個々人の受け止め方や感じ方によって異なります。



安全と安心の違いが話題になった例として、最近では原発事故があります。


原発を安全だと主張する側が、いくら安全だというデータを持ち出したとしても、一度焼き付けられた不安感を抑え込むことは難しい。


この手のやり取りでは、議論に勝っても意味がありません。
セールスマンが顧客に、商品を買うメリットを、反論の余地がないほど説明したとしても、だからと言って購入してもらえるとは限りません。
「なぜウチの商品にしないんですか?素人なんだから言うとおりにしてください」
なんて言ったら、喧嘩になるでしょう。


「理屈と道理のへだてあり。理屈はよきものにあらず」
日本人の叡智 (新潮新書)



とは、江戸時代の思想家、三浦梅園の言ですが、自然と湧き出る人の心と、頭で考えた理屈。
人の心を無視した理屈が、必ずしも正しいわけではなりません。

不安を感じるものほど、“リスクのかわし方”を備えておきたいものです。


前回、かわすべきリスクの優先順位付けを考えるにあたって、リスクの公式を紹介しました。
それは次のようなものでした。


リスク=確率×影響の規模(被害)



この公式に不安という要素を加えたい。

するとこうなります。



リスク=確率×影響の規模+不安


最後を掛け算ではなく+にしたのは、確率・影響ともに大きいにも関わらず、不安が小さいため数値が不当に低くなること(10×10×0=0)を避けるためです。


ちなみに、アマンダ・リプリー氏は不安の公式を次のようにあらわしています。


不安=制御不能+馴染みのなさ+想像できること+苦痛+破壊の規模+不公平さ
生き残る判断 生き残れない行動



この公式を先の原発事故に当てはめてみると、こんな感じではなるのではないでしょうか。


原発事故の不安=
制御不能(自分ではどうしようもない)+馴染みのなさ(放射性物質なんて日常生活に馴染みがない)+想像できること(ガンや白血病、髪の毛が抜け落ちるなど、過去の事故や原爆などのイメージを想像)+苦痛(ガンや白血病は命にかかわり、長い闘病が必要)+破壊の規模(広範囲で多くの人が巻き込まれ、生活に身近な空気、食料なども汚染され、それが長期にわたる)+不公平さ(自分たちは何もしていない、と思っている)


なお、不安というのは知ることによって、あるいは対処法を習得することによって、緩和されることが多い、ということを付け加えておきたいと思います。
つまり、対処法を知ったり準備したりすることは、無駄ではないということです。


日本人の叡智 (新潮新書)

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  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/04
  • メディア: 単行本




生き残る判断 生き残れない行動

生き残る判断 生き残れない行動

  • 作者: アマンダ・リプリー
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/12/17
  • メディア: 単行本





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