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およそアドバイスほど、気前よく与えるものはない。が・・・。 [日常リスクのかわし方]

「およそアドバイスほど、人が気前よく与えるものはない」

とは、ラ・ロシュフコーの言葉です。
(おおよその、うろ覚えですが・・・)

意味はそのままで、人というのは、他人に対してアドバイスするのが好きなものです。無料でいくらでも与えます。きっと助言をするというのは、心理的(もしくは脳の働きとして)に快感・満足感を得やすいのでしょうね。

聞く方にとってはうるさいだけです。
しかしながら、鬱陶しいアドバイスとはいえ、古くからよく言われている言葉というのは、耳を傾ける価値があると思います。

例えば
「目先のことにとらわれるな」
であるとか、
「初心わすれるべからず」
とか、
「火は粗末にするな」
といった類の、よく聞くアドバイス・・・というか、小言。

このような言葉がなぜ昔からよく聞かれるのか。

それは、これらの事が、それだけ守りにくいものだからーということが言えると思います。

当たり前のこと、考えればわかること。しかも、簡単なこと。
だけどできない。
忘れやすい。
それで失敗する人が多くいる。

昔からよく言われるようなことは、ちょっとうるさいと思っても、やっぱりしっかりと気を止めておくことが必要だと思います。それが日常のリスクから私たち自身を守る一番簡単な方法ではないでしょうか。

新訳 ラ・ロシュフコー 賢者の言葉 世界一辛辣で毒気のある人生訓

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まだ見ぬ未来 [日常リスクのかわし方]

「もっと練習しておけばよかった・・・」


というのはよくある話でして。


「あれだけ練習したのにうまくいかなかった・・・」


というのも、割と覚えのある出来事だったりします。


本番に強いタイプと弱いタイプというのがあったら、僕なんかは後者かな、と。


まだ見ぬ未来の自分に期待を寄せていいのは、日々研鑽を積んで、自信につながるだけの努力をした人だけ。


今やれないのに、まだ見ぬ未来はきっとうまくやれる・・・なんてのは甘い考えかもしれない。



いったい何の話をしているのだ?



つまりは災害への備えのことを言っています。
訓練とか。

ですよね?

リスクの公式に不安を加える [日常リスクのかわし方]

先日、「リスクの公式」で、リスク予防の優先順位のつけ方について考えました。


ただそこにはもう1つ、考慮しなければいけないことがあります。

それは、“安心と安全”です。

災害や犯罪、事故などを語る上で、よく“安全と安心”の違いが指摘されます。


安全は危険のないこと。

安心は心配や不安がないことで、実際に安全かどうかは必ずしも絶対条件ではありません。


安心は、個々人の受け止め方や感じ方によって異なります。



安全と安心の違いが話題になった例として、最近では原発事故があります。


原発を安全だと主張する側が、いくら安全だというデータを持ち出したとしても、一度焼き付けられた不安感を抑え込むことは難しい。


この手のやり取りでは、議論に勝っても意味がありません。
セールスマンが顧客に、商品を買うメリットを、反論の余地がないほど説明したとしても、だからと言って購入してもらえるとは限りません。
「なぜウチの商品にしないんですか?素人なんだから言うとおりにしてください」
なんて言ったら、喧嘩になるでしょう。


「理屈と道理のへだてあり。理屈はよきものにあらず」
日本人の叡智 (新潮新書)



とは、江戸時代の思想家、三浦梅園の言ですが、自然と湧き出る人の心と、頭で考えた理屈。
人の心を無視した理屈が、必ずしも正しいわけではなりません。

不安を感じるものほど、“リスクのかわし方”を備えておきたいものです。


前回、かわすべきリスクの優先順位付けを考えるにあたって、リスクの公式を紹介しました。
それは次のようなものでした。


リスク=確率×影響の規模(被害)



この公式に不安という要素を加えたい。

するとこうなります。



リスク=確率×影響の規模+不安


最後を掛け算ではなく+にしたのは、確率・影響ともに大きいにも関わらず、不安が小さいため数値が不当に低くなること(10×10×0=0)を避けるためです。


ちなみに、アマンダ・リプリー氏は不安の公式を次のようにあらわしています。


不安=制御不能+馴染みのなさ+想像できること+苦痛+破壊の規模+不公平さ
生き残る判断 生き残れない行動



この公式を先の原発事故に当てはめてみると、こんな感じではなるのではないでしょうか。


原発事故の不安=
制御不能(自分ではどうしようもない)+馴染みのなさ(放射性物質なんて日常生活に馴染みがない)+想像できること(ガンや白血病、髪の毛が抜け落ちるなど、過去の事故や原爆などのイメージを想像)+苦痛(ガンや白血病は命にかかわり、長い闘病が必要)+破壊の規模(広範囲で多くの人が巻き込まれ、生活に身近な空気、食料なども汚染され、それが長期にわたる)+不公平さ(自分たちは何もしていない、と思っている)


なお、不安というのは知ることによって、あるいは対処法を習得することによって、緩和されることが多い、ということを付け加えておきたいと思います。
つまり、対処法を知ったり準備したりすることは、無駄ではないということです。


日本人の叡智 (新潮新書)

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  • 作者: 磯田 道史
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/04
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生き残る判断 生き残れない行動

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  • 作者: アマンダ・リプリー
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/12/17
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リスクの公式 [日常リスクのかわし方]

このブログのタイトルは、「日常リスクのかわし方」です。

日常リスクをかわすといっても、僕たちの生活における全ての危険を避けられるわけではないし、また全てに対処しようとすれば、途方もない労力が必要になります。

かといって、何も対策をとらないわけにもいかない。
となると、リスクに対処(予防含む)するにあたって優先付けが必要になるのではないでしょうか。


どのような危険に対して、優先度を高くして予防策を打つべきか。
あるいは、どのようなリスクに対して、それを無視するか。


それを考えるのに、参考になる簡単な公式があります。


リスク=確率×影響の規模(被害)


遭遇する確率がより高く、その影響によって被る被害が大きい。
そのようなリスクを優先的に対処すればいいのではないでしょうか。


被害が大きくても、遭遇する確率が低ければ、あまり考えなくていい。


例えば、飛行機に乗る機会のない人が脱出スライドの飛び降り方を気にかける必要は、そんなに高くない。


また、遭遇する確率が高くても被害の小さいものならば、無視してもかまわない。

タンスの角に足の小指をぶつけたくないがために、タンスをクッション材で巻くというのはナンセンスです。

こんなふうに書いてしまうと非常にアホらしい感じがしますが、得てしてこのような事柄を心配しているケースは多いものです。


ただし、上記の公式を考える上で、ポイントは掛け算であるということに注意が必要です。

いくらタンスの角に小指をぶつける被害が小さくても、
1日に10回も20回もぶつけるようなら対策を考えなければなりません。

被害が1でも、かける20になれば大きな“被害”となる。当然の理屈ともいえます。


ちなみに、行政や企業など多くの人間の安全を預かる立場では、確率の小ささというのは、対処しなくていい言い訳にはならないと思います。

人の命を預かる部門に置いて、多少でもリスクがある限り、「対処ゼロ」はあり得ない。

しかし、個人の場合であれば、基本的には遭遇する確率が高く、影響(被害)の大きいものが、かわすべきリスクであると考えればいいと思う。



ああ、もう1つ、注意すべき点がありますね。
上記の公式は、“不安”という厄介なものを考慮に入れていませんでしたね。
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