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美味しんぼ鼻血問題は、「分かり合えない事」を前提に考える必要がある [今日のシグナル]




グルメ漫画「美味しんぼ」での福島原発事故に絡めた鼻血描写の件。

批判する側、援護する側、立場は色々とあるようです。

この件の難しいところは、鼻血描写をした原作者も、それを批判する専門家も、渦中の中心にいる人たちはいずれも「正義感」を持ってやっているというところ。
どちらも良かれと思ってのことなんですが・・・。

心配なのは感情のエスカレートする部分でしょうか。

今回も、風評を批判する某ジャーナリストの方が原作者へのリンチを呼びかけ話題になりました。

※ジャーナリストが「美味しんぼ」原作者の「リンチ」呼びかけ? 石井孝明氏、批判されツイートを削除
http://www.j-cast.com/2014/05/08204199.html?p=all
「美味しんぼの件は、見せしめにぴったり。(略)祭りは『血祭り』の方が興奮するし。嫌いな人民裁判に、私も乗ろう。風評被害撲滅の大義のため」
「私は漫画という文化に敬意を持つが、社会に意味のない漫画なら見せしめのためにリンチをして、吊るし上げても、影響はないだろう。だから心置きなくリンチして木に貼付けにしてやりましょう」

確かに過激な呼びかけです。
しかし、これも正義感から現れただろうことは想像できます。


そうすると、果たして正義とは何か。
正義と平和は異なるのか。
ということも考えてみたくなりますが、止めておきましょう。


考えてみれば、人類が抱える“人間同士”の複雑な諸問題は、お互いの背景にそれぞれの正義があるのかもしれません。

捕鯨問題。
いじめ。
人種差別。
戦争。
ジェノサイド。


感情を抑えての行動、論戦から、つい一歩を踏み出してしまう感情。
勢いづき静止するのが難しくなる感情。


人と人が絡む問題は難しい。

きっと、正義感を持って争う当事者たちの周囲には、面白半分であったり利権欲得に絡む思惑だったり、色々な人も集まるでしょう。

そんな中で冷静さと根気を保ちつつ、対話によって問題解決していくのは相当難易度が高いでしょうね。

下の本では、「分かり合えない」ことを前提に対話をすることを推奨しています。
分かり合えないからこそ、それを前提に分かり合うための努力が必要になる。戦うコミュニケーションからの脱却、難しいけど、今こそ必要な気がします。


対話流―未来を生みだすコミュニケーション


対話流―未来を生みだすコミュニケーション




タグ:美味しんぼ

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